例えば…「超える」と「越える」にこだわるということ
最近テレビを見ていると、日本人が話しているにもかかわらず、言葉に合わせてテロップがよく流れています。昔と比べて明らかに数が多いと思うのですが、増えたせいもあるのか、誤字脱字も非常によく目立ち、人の名前の場合などにはキャスターが後で頭を下げる光景もよく見掛けます。
テロップを入力するのはコピーライターなどという職ではなく、映像の編集者が若手等を使って入力する、いわゆるオペレーター作業です。そこには恐らく言葉に対するこだわりはあまりないでしょう。正確に入力しようと心掛けるだけ。しかし、言葉の意味も分からず単純に入力しているだけでは、変換ミスは無くなりません。
例えば「超える」と「越える」。前者は基準を超えてさらに上へ突き進む、後者は基準を通過する、またいで越えていくという意味があります。言うまでもなく言葉、この場合漢字には長い歴史があり、意味を使い分けてきたからこそ2つの表現があるわけです。その正確な使い分けは、日々の生活の中で目にする私たちに自然に染み付いており、無意識のうちに誤用されたものを見ていると、すぐ気づかないとしても、どこか気持ち悪さというものが残るはずです。
コピーライターたるもの、漢字の姿形から人に与える印象というものを常に意識して誤植を無くし、よりストレートに、スピードもより速く、言葉の意味が伝わるよう努めるのが商売だ、と思っています。